当寺は開創前由木城と称し、武相十郡の太守、滝山城主大石源左衛門尉定久公が家督を相続するまでの居城であった。定久公滝山城入城の際、支城であった由木城を叔父である一種長純大和尚に譲られ開山された。開山当寺は道俊院心月閣と称していた。天文十五年(一五四六)大石定久公の養子である八王子城主北条氏照公により北条家家人横地監物、中山勘解由を建築奉行として七堂伽藍の完備した大禅寺を建立し、江湖会(僧侶千名)を営み、永麟寺と改名された。天正十九年徳川家康公当寺を巡拝され、朱印十石、公郷格式拾万石を授けられ大名寺院となった。又巡拝の折「名にしよう、永き林なり」と賞賛され此れにより永林寺と改名した。天正十五年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を賜り、護国禅寺となる。正徳三年(一七一三)寺格随意会となり、享保八年(一七二三)随意会会下号を開闢し、僧堂を開単、北海禅林(修行僧約二十五名)と称し、当地方の格地本寺寺院(当時末寺十八ヶ寺廃仏毀釈により十ヶ寺)となり現在に至る。
【メ モ】
【交 通】