佛法山 徳善院  興林寺  こうりんじ

宗  派 浄土宗
御本尊 阿弥陀如来、その立像は江戸の作である。
寺  宝 位牌堂の阿弥陀如来像、聖観音像、
     境内にある八王子市指定有形民族文化財の青石塔婆
     (あおせきとうば)の銘に弘安六年(一二八三)六月二六日とある。
開  基 鎌倉時代
開  山 天文十二年(一五四三)本蓮社願誉興阿林忠天龍大和尚
     (弘治二年八月遷化)

興林寺歴史的には、神奈川県橋本市を抜け座間市に通ずる八王子道(後の絹の道と呼ばれる川越街道・現国道十六号)と境内地南側を抜ける鎌倉街道の枝道であった小野路街道(最古の甲州街道)の交差点であり、交易上、戦略上の要衝として意図的に準備し、形作られたことが明らかである。他にも、この旧川越街道と小野路街道沿いには現在も同様の成立過程をたどった多くのお寺さんがあり、夫々他の地区に通じる街道の交差点で、要衝であったことが知れる。また、古くは、江戸期の古文書に二十五菩薩のお練供養(極楽浄土より二十五人の菩薩様がお迎えに来て、極楽浄土に仏さまをお連れ下さるというご供養)が行われたとあるが現在は行われていない。境内には、前記の、通称、板碑(いたび)と呼ばれる弘安六年の「青石塔婆」と「開運灯籠」と呼ばれ、江戸期から近年まで、多くの信仰を集めた灯篭の破片が残っている。青石塔婆は緑泥片岩で出来ていて、三角形の頭部は失われているが、薬研状に彫られた阿弥陀如来の種字が見事である。これは、現在使われているお塔婆と意味する処は同じであるが、それぞれの仏の供養の為に、秩父や寄居の辺りから運んでこられたものと思われる。開運灯籠は、大久保長安が、佐渡金山奉行の折り、上杉謙信公の灯籠を手に入れたが、慶長十九年に大久保家が断絶になった後、徳川将軍のご威光をはばかり、寺の裏手の竹薮に隠してあった。その後、灯籠を見つけ、お参りした八日市宿の甲州屋伝左衛門という人が何気なく撫で擦って帰った処、運が開け好事に恵まれたというところから、開運灯籠として親しまれた。

【年中行事】お盆、施餓鬼会、春秋彼岸、除夜の鐘などを行い、毎月三日に別時念仏会を行っている。
【地 図】
【交 通】 JR八王子駅南口より、西方向へ線路に沿って徒歩2分
【住 所】 〒192-0904 八王子市子安町4-4-18
【電 話】 042-622-7799
【住 職】 阿川雅俊

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